祝詞 玉の光
由来
玉光神社がまだ「玉光教会」と称していた頃(1940年頃)、信者たちから自前の祝詞が欲しいという声が挙がりました。その時、教祖・本山キヌエに玉光大神様が御降臨され、「吾の祝詞はもう出来ている」と仰り、時の総代たちに探し求めるようお命じになりましたが、探し出せませんでした。
1948年(昭和23年)、信者の中村太一氏(のちの総代)が自身の菩提寺(藤沢遊行寺の塔頭の一つ)の僧から三巻の経『恵厳顕蔵経』をもらいうけました。その僧によれば、その経の巻物を古道具屋で見つけ、購入し、中を読んでみると漢文で「神様」のことが書かれた珍しい経であったため、中村氏に譲ったのでした。
中村氏が翌朝、玉光神社に持参すると、教祖に玉光大神様が御降臨され、「これこそが吾が祝詞である。そちたちが持ってこないから吾が取り寄せたのだ」と仰せられました。そして、さらに玉光大神様はこの経典を、当時教祖が短歌を習っていた湯浅真生氏の知人の漢文教師に訳させること、さらに抜粋して祝詞を作ることを命じられました。
原文は九部に分かれ、書き下し文は約42,000字に達しましたが、玉光大神様のお言葉に従って抜粋し、現在の1,100字余りの祝詞『玉の光』が出来上がりました。
※『玉の光』は、信者にしかお授けしておりません。
内容
『玉の光』は大きく分けると三つの部分から成り立っています。
第一の部分は、『玉の光』に記される「元神」が創造主であることについての記述、世界の仕組みと創造主の御経綸(神の意思、計画)についての記述、人間の生き方についての記述が見られます。
第二の部分は、いわゆる「洪水神話」が記されており、大きなカルマの乱れがあった時の創造主による救済、祈りの意義を記述しています。
第三の部分は、「超作」を通しての進化が記され、宗教行為と日常行為の統合の必要性が説かれています。
「玉光教十訓」
『玉の光』の中から、人間がこの世で守るべきこと、すべきことを、短い文章でまとめたものです。