教祖・本山キヌエ(お代様)

教祖・本山もとやまキヌエ
(お代様だいさま 神名:豊玉照妙光之神とよたまてらすみょうこうのかみ

1909年(明治42年)3月13日
山口県生まれ

 

 父・本山与吉、母・ひさの四女として生まれた教祖・本山キヌエは、国元から母を引き取り共に小豆島に移り、生活の苦労と病気とに苦しんでいました。1932年(昭和7年)2月6日、教祖は世をはかなみ、母のすきを見て双子の浦から投身自殺を図りました。しかし、この時一陣の風がおこり、教祖は元の岩の上に吹き戻され、このような御神言を賜りました。

 

「吾は天津神玉光大神たまみつおおかみなり。今から5年の後には天が逆さまになるような戦争がおこる。それを救わんが為に下りたるものぞよ。汝の母の日常の信仰と汝の孝養に愛でて命をたすけ、吾の代人として仕えさす。」
「これからは吾を玉光大神と呼べ。玉は慈悲心を表わし、光は智恵を表わしてある。人を救い導くには、智恵と慈悲心がなくては人を救うてはゆけぬ。吾のこの名は、一つには汝にあたえた名であるぞよ。玉みがかざれば光なしの諺の如く、よくよく努力精進せよ。」

 

 以来、御神言のままに、戦時中は日本各地を巡り国土安泰を祈願しました。同時に御神言による指導(御神占ごしんせん)や祈願により、多くの人々のカルマを解き、困難や苦しみから救ってきました。こうした個人の救済も教祖の使命の一つではありましたが、玉光大神様は「個々の者を救うのは、吾の末のわざである」と御神言を示し、教祖は戦後も世界平和を第一義とし、民族と国土、国家、地球のカルマを清める祈りの道を歩みました。