準教祖・余島シズエ

準教祖・余島よしまシズエ
清光せいこう先生 神名:浄光照清光之神じょうこうてらすせいこうのかみ

1905年(明治38年)1月19日
香川県小豆島生まれ

 

 準教祖・余島シズエは、不幸な結婚生活を送っており、重病の母を抱えていましたが、1932年(昭和7年)、小豆島で与九郎の稲荷様に願ったところ母が全快し、そのお礼参りの折に教祖と出会います。それ以来教祖に仕え、教祖が御神言に従って山に登るなら、それが夜中でも付き従い、滝行を行うなら、それが真冬でも共に滝に打たれるなど、大神様からの御神言を素直に受け入れ、修行に邁進しました。

 

 1936年(昭和11年)に教祖が上京すると、夫と離縁して俗縁を切り、息子の博(初代宮司)を小豆島に残し上京します。その折、「代〔教祖〕とそち〔準教祖〕は車の両輪のようなもの、又吾の前にある神酒すず※のようなものじゃ。どちらが欠けても吾の役には立たぬ」との御神言があり、教祖と師弟の縁を結びました。それ以降は、世界平和のために日本各地を巡って教祖とともに祈り、神の道をひたすら歩みました。

 

神酒みきすずとは、神様にお供えするお酒を入れる酒器のこと。一対で捧げられるため、玉光大神様は教祖と準教祖に例えられました。

 

 準教祖は、教祖に降りる様々な霊に対して、苦しみや執着から離れるように諭す、審神者さにわとしての役割を担っていました。戦後は、多くの信者や霊を導き、社殿建立に尽力するとともに、多病であった教祖の看病にもあたりました。教祖亡き後も、97歳で天寿を全うするまで、厳しくも優しく、信者を導き続けました。