2025年10月23日 御本宮大祭 宮司講話
2025年10月23日 御本宮大祭 宮司講話
大神様の信徒への大いなる慈しみ
今日は秋の大祭への参列、まことにご苦労様でした。
大神様の御神意の実現は、信徒個人の幸せの実現と表裏一体です。秋の大祭は大神様の御神意実現のために神々が話し合われる大切なお祭りです。ですから、お祭りのあいだは個人の願いごとを忘れて、少しでも大神様のお役に立てるように真心から奉仕とお祈りをしていただきたいと思います。それが結局は自分の幸せと繋がっていくのです。これは、毎月の月次のお祭りでも同じことです。玉光神社の信徒にとってお祭りへのご奉仕は最も重要な宗教実践なのです。
お祭りは御神意実現のために神々が会議をされる場ではありますが、一方で参列している私たちが大神様に出会わせていただく貴重な機会でもあります。大神様が定められた場所であり、お代様と初代宮司様が祈り続けられたことによって聖化された御神前で、大神様が定められた時に斎行されるお祭りこそが、私たちにとって大神様と出会うことができる最大の機会なのです。
そもそも、神様との出会いこそが救いの本質です。多くの人が苦しみから逃れること、願いが叶うことが救いだと思っています。神様との出会いによって、その二つが叶えられるのです。
もちろん、神様との出会いには階梯(段階)があり、その形は多様です。御神前で手を合わせると気持ちがいいなとか、『十五条の御神訓』について考えると清々しい気持ちになるな、といったものも神様との出会いです。お祈りによって願いが叶い、ありがたさが込み上げてくるのもそうです。祈りや瞑想のときに神様をなんだか直接に感じるような気がするのもそうです。このように、神様との出会いにはいろいろな形がありますが、信仰を深めることによってその出会いを深め高めていくことができます。その深まり、高まりこそが救いの深まり、高まりなのです。
そして、その深い救いこそが大神様の御神意の実現であると思います。
玉光神社は、玉光大神様の御神意の実現のために、一人ひとりが神様と出会うことを目指し、神々の御協議の場であるお祭りにご奉仕するのです。
しかし、気をつけたいことがあります。大神様が建てられた神社においては御神意実現こそが第一義のはずなのですが、そのような神様中心の信仰には落とし穴もあります。御神意の実現と私たちの幸せは表裏一体であると言っても、それは深い信仰に入った方が初めて思えることでしょう。
私たち普通の人間は、自分ではどうにもできない苦難をなんとか神様に救っていただきたいと思って信仰に入るのが通常です。その救っていただきたいという真実の心からの祈り、その祈りが深まることによって、信仰そのものも深まっていくのです。
しかし、救っていただきたいという本心を誤魔化して、無理矢理に御神意第一という態度を取ろうとすると、心から、魂からの信仰ではなく、頭で考えた信仰になってしまいます。そうなると、神様そのものではなく、自分が信じたい観念を神として信じるようになってしまっています。それが極端になると、原理主義になり、他者を傷つけることになってしまいかねません。それは宗教というよりはイデオロギーであり、宗教イデオロギーがいかに恐ろしいものであるかは歴史が示しています。
ですから、素直な心で「救っていただきたい」と願い、神様による救いを信じましょう。そして、神様に救っていただく人としての自然な前提として、大神様を信じ、敬い、感謝申し上げましょう。それでこそ、人間としての心の基盤に根差した、嘘のない信仰心が育まれるのだと思います。
その上で、より深い救いのための大神様への信仰を深めるために、大神様から賜った根本教義である『十五条の御神訓』と向き合ってください。この教えと向き合うことこそが私たちが大神様とつながり続ける道であり、大神様との出会いを深めていく道です。私たち信徒は自らの救いを確かにするために、そして大神様のお役に立つために『十五条の御神訓』と向き合い、神様との繋がりを持って生きる道を目指すのです。
玉光神社の理念
「玉光神社は御神意実現のため、一人ひとりが神と出会うことを目指すとともに、神々の御協議の場であるお祭りに奉仕する」
は、御神意実現という神様のための信仰と神様との出会いという信徒の救いのための信仰が表裏一体であることを示しています。
信徒信条の前段
「私たちは、玉光大神様を信じ、敬い、感謝し、神様による救済があることを信じ祈ります」
は、素直な心で神様を信じ、救済を求めて祈ることの大切さを示しています。
信徒信条の後段
「私たちは、『十五条の御神訓』に向き合い、神様とのつながりを持って生きる道を目指します」
は、自分の救いと御神意実現が表裏一体であることを悟る深い信仰への道筋を示しているものだと言えます。
神社理念と信徒信条は、私たちの嘘のない素直な信仰から神様のための深い信仰へ歩むための原点を示していると思います。
宮司 元旦祭・大祭 講話
